ホームページのリニューアルに伴い
プロフィールを書き直してみました
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そして書き直した原稿は以下の通りです
1957年(昭和32年)群馬県高崎市(旧群馬郡倉渕村)に男3人兄弟の長男として生まれました。三木家にとっては待望の男の子だったため、曽祖父が「一郎」と命名したそうです。実家は曽祖父が薪炭店を創業し、祖父の代にガソリン・灯油・プロパンガス等を扱う燃料店となりました。子供の頃は長男なので、祖父が卒業した高崎商業高校を出て、家業を継ぐものと言われてきました。
倉渕村立中央小学校、倉渕中学校、群馬県立高崎商業高等学校を卒業
幼少期は体が弱かったので、小学校2年の時から近くの道場で剣道を習いました。剣道のお陰か分かりませんが、体も丈夫になり、中学・高校ではキャプテンを務めました。中学校の時は群馬県大会で団体優勝、高校の時には関東大会に出場。高校卒業時には、優秀選手として群馬県の10傑に選ばれました。
高崎経済大学 経済学部 経営学科を卒業後、群馬県に本部を置く流通チェーンに入社。バイヤー、店長、販売促進、店舗運営などの仕事に携わってきました。妻は当時配属された店舗の1年後輩にあたります。娘と息子の一男一女を授かり、娘には2人の孫がおります。県外にいるため頻繁に合うことは出来ませんが、会う度に心身ともに成長している姿を見て喜んでいるジィジです。息子は海上自衛官で護衛艦の乗員として勤務しています。長期間の航海に出ることも多く、しばらく会えないこともありますが、年に1~2度は子供や孫たち全員が揃うこともあり、その時が何よりの楽しみです。
流通業に勤務していた39歳の時に大病を患い、8ヶ月休職の末、18年間勤めた会社を退社しました。その後は高崎市のゼネコンに2年間勤務し、前橋市の建設会社で建築の営業として8年間勤務しました。建築・不動産の知識がなかったので、独学で宅地建物取引主任者・AFP・マンション管理業務主任者等の資格を取得しながら、主としてに賃貸マンションの企画提案営業の他、店舗や一戸建住宅の営業に携わってきました。
当時企画営業部の責任者を任されていましたが、50歳を機に建設会社を退社し、取得した資格を生かして不動産会社を設立しました。お客様のご要望やお悩みにお応えするという意味で社名を「answer アンサー」としました。不動産業は衣・食・住の、住むところを提供するとても責任ある仕事です。家を持つということは、大半の人にとっては、一生に一度のメインイベントなので、「アンサーの三木さんにお願いしてよかった!」と言っていただけるように心掛けています。物件の選択・ご契約・お引渡しまでは常に順風満帆というわけにはいきませんが、お引渡しの時のお客様の笑顔が、私たちにとっては何よりのご褒美です。
平成30年2月にこれまで賃貸だった事務所を自宅に建てて「職住一体」となりました。不動産会社というとマイナスのイメージをお持ちの方がいらっしゃるかと思いますが、どうぞご安心ください!当社は私と妻、それとパートさんの3名の小さな会社ですが、小さいからこそよりお客様に親身に寄り添うことを心掛けております。小さなお子様連れでもベテラン主婦がお相手をさせていただきますので、じっくり物件をお選びください。
還暦を迎えてからは、これまで以上健康管理に気をつけるようにしています。ほぼ毎日していた晩酌は、定期的に休肝日を設け、一番好きな日本酒も糖質が多いので、特別の日にしか飲まないようにしています。休みの日や天気の悪い日を除き、毎朝30分ほど犬を連れて散歩しています。料理が好きで休日の食事はほとんど自分が作ります。最近は「サバ水煮缶」にはまり、レシピ本を買っていろんな調理法を試しています。温泉が好きで日帰り温泉でリフレッシュしたり、年に何度かは年老いた両親を連れて温泉旅行にも出かけます。
健康であり続ける限り、この仕事が私の人生後半の天職として、皆様のお役立ちが出来るように努めてまいります。
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